韓 丘庸





『萬歳暦』(Ⅱ)


 先月この欄でわたしは相良高子氏が企画編集した『旧暦と暮らす』(ビジネス社・刊)は、私達が朝鮮・韓国の文芸翻訳を目指す上で貴重な参考資料になると強調した。それは「儒教国家」の朝鮮民族の規範を知るだけでなく、「月に祈りを捧げる」陰暦の伝統が社会生活の隅々にまで如何に浸透しているかを知ってもらいたいからである。
 今回は朝鮮の「陰暦の起源」に就いて述べることにする。
 朝鮮・韓国の建国は「檀君」(BC・2333)神話に始まるが、これは朝鮮・韓国の国民がすべて信じていることでもある。殊に檀君二世・扶婁王12年には「神志貴己」によって、日月火水木金土の「七回暦」が作られ、これを「七曜暦」としたことはいかに暦法を重視したかを物語るものであり、今日の週日が早い時期に定着していたといえる。
 また中国の「舜」の「七政暦」はこの朝鮮の七回暦を根本にしていると言われている。唐・尭の「蓂萊暦」もまたその後、高麗の「365度回文之日」として作成され、天と日月の左旋行法で昼夜・明晦・節を定めた「九執暦」として発展し、広く伝播したと伝えられている。
「百済」の時代には、602年頃に僧観勒が暦書と天文地理書を伝えたと言われているが、このときの暦書が「元嘉暦」と推測される。
「新羅」は、文武王14年8674)、大奈麻徳福が入唐し、暦術を学んで帰国して初めて暦を作成、之を「麟徳暦」と呼んだ。
「高麗」に入り、太祖(918)時に唐の「宣明暦」を使用し、忠宣王の時はこれを訂正して「授時暦」を作成。恭愍王19年(1370)には中国の使臣・成准得が明から戻り、明帝の「大統暦」を頒賜した。
「朝鮮朝」になって、孝宗4年(1653)に初めて「時憲暦」が施行され、粛宗34年(1708)には「時憲暦五星法」を使用する。英祖元年(1725)に「時憲法暦五星法」を改正、「新修時憲七政法」とした。また、正祖6年(1782)書雲観に命じて陰暦中心の「千歳暦」を作らせる一方、高宗31年(1894)の11月、「太陽暦」を使用したが、忌辰・誕節及び揀吉などは「時憲暦」を参考にし、光武元年(1897)には「時憲暦」を改定して、詔勅として「明時暦」を頒布し、その後、同8年(1905)には再び「千歳暦」として刊行された。
「千歳暦」は1777~1876年まで、百年を推参して編纂したというので「百中暦」とも呼んでいる。この「千歳暦」を改訂して「萬歳暦」として内外に広く普及し今日に到っている。
 今まで出版されてきた「萬歳暦」は陰陽暦及び曜日・日辰を相互対照するには若干難解すぎるといって、今ではそれを大幅に改め、一般庶民が誰でも参考にできるよう編纂し直されている。そして年始めには各行政機関、官公庁、企業体、学校、公共団体、各家庭などに送られている。
 現在の「萬歳暦」(1889~2050)は修正増補版(韓重洙・編)が有名である。
 ともあれ、「萬歳暦」が人々は社会生活の中で、大きな支柱となり、人間の精神世界に豊潤なゆとりを齎らせる意味で、朝鮮の「暦」は棄てがたいものといえるだろう。







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