韓 丘庸





韓国作家の来日を思う―李浩哲氏との出会い―

 2月18日の夕暮れ。大阪市の谷町9丁目の空堀商店街にある居酒屋「すかんぽ」で、アメリカのニューヨークでの出版講演を終えての帰りだという韓国の作家<李浩哲>氏に会った。
 そこには私たちの常連である詩人の金時鐘、作家の元秀一、金吉浩、金啓子、ノンフィクションの高賛侑、大阪成蹊大でハングルを教えている文東載各氏に私を入れての7人が出席して、賑やかな出会いとなった。
 周知の通り、李浩哲氏は1932年生まれで、咸鏡南道元山の出身。現在、韓国小説家協会の代表を務めている。「いらだつ人々」で東仁賞、「他人の地」で現代文学賞を受賞。民族の南北の厳しい人間像をリアルに活写した「南のひと北のひと」では、大韓民国芸術院賞、大山賞を受賞し、英、独、仏、中、日等世界中で翻訳されている。
 「失郷民の文学」の旗手として1960年後半から、積極的に民族芸術文学を主導してきた金東里、黄順元、李範宜などと共に数少ない本格派の作家の一人でもある。殊に彼は71年に民主守護国民協議会を結成、72年のペン大会で在日文芸誌「漢陽」と交流したかどで反共法かかり獄中につながれ苦渋を強いられた。私たちは早くから彼に敬意を表し、運動を支持してきたのである。
 彼が今から42年前の1963年に発表した「最後の餐宴」(「思想界」63・文芸特別増刊号)や、76年に連載中であった長編「逆旅」(「韓国文学」75~76)を興味深く読ませて貰ったと言って、当時の雑誌を見せると手にとってびっくりし、感慨深げに眺めていた。
 殊に私たちの「北十字星文学」12・13号に掲載された李璟子の「災難」、金周榮の「悪霊」を見て、この作家たちは自分の愛弟子であると言って目を細めた。そして、宋英子さんの訳文が素敵で日本語でも十分に韓国民族の現代像の雰囲気を醸し出していると評価していた。私は自分のことのように嬉しく思った。
 確かに彼の目指した「失郷民の文学」は、分断時代を生きるわれわれ在日にとっては同一線上での民族と家族の心の痛みを分かち合う意味で、その本質的には故郷を棄てた在日とその境遇は随分と類似しているように見えながらも、彼が故郷元山を朝鮮戦争時に棄てざるを得なかった状況と、日本の植民地政策によって、日本への流浪を余儀なくされた在日同胞の環境は異なり、失郷民のアイデンティティの格差は大きいと強調している。
 数年前、李浩哲氏は離散家族の相互訪問で故郷の咸鏡南道を訪れ、「帰郷」の夢を少しは果たしたと懐かしく語ってくれた。奇しくも私が「祖国訪問団」で訪朝したとき投宿した元山のSホテルで過ごした話をし、「こんな辛い思いは二度としたくないですね」と私の手をいくどもいくども握り締めていた。
 互いに年齢の近い私どもにとって、こうしたつかの間の出会いもそれなりの意味を持つ。そしてこれが何時しか大きな揺ぎ無いうねりとなり、「祖国統一への偉業」へと成就した暁には必ずや南北が笑える日が来るだろうと確信するのである。
 短い時間の出会いであったが、心に重く残る有意義な一時であった。



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