韓 丘庸





方経民先生を悼む

 鄭麗芸先生が1999年に上梓したエッセイ集『目からウロコ、日中比較文化論-ことば・文化・芸術-』(駿河台出版社・刊)の「あとがき」の最後のくだりでこう記した。
 「最後に、故郷上海で暖かく見守っていてくれる父母に本書を捧げる幸せと、いつも側で支えてくれる夫方経民と息子弘毅に、このささやかな贈り物が出来たことの喜びをかみしめています」
 それから5年、彼女は今年の8月夫の方経民先生を上海で交通事故で亡くした。
松出大学の増野先生からこの悲報を知らされたとき、私は一瞬声が停まり、頭の中が真っ白になってしまった。私より若い先生が、またどうして…。<青天の霹靂>とはまさにこのことをいうのだろうか。志半ばにしてと思うと、実に遣り切れなく、悲しい限りである。
 私が松山大学に95年4月に単身赴任した時、増野先生から方先生を紹介されてからは、三人でよく昼食やコーヒブレイクをしたり、車で奥道後や市内を散策しながら談笑したりした。時には中国事情や通過儀礼、習俗に就いても楽しく教えて頂いた。これは三人の小さな日中朝の「東アジア国際文化会議」であった。
 方先生は松山大をはじめ大阪外大などで中国語を担当しており、『現代語言学方法論(河南人民出版社、93)や、『漢語語法変換研究』(A Transformational Study of Chinese Grammar)(白帝社、98)など、多数の著書を持つ言語学の権威者である。
 また奥様の鄭麗芸先生も渡日10年、同じく松山大や岐阜大などで中国語の講師をする傍ら、日中比較文化論や東洋文芸思潮の研究を続けておられ、書家としても有名である。
 私が長い間大阪外大で講師をしていた関係で、方先生からいつも声を掛けて頂いたりしたし、いつも笑顔を絶やさない、爽やかで、気さくな方であった。性格も非常に几綬面で、気忙しくキャンバスを歩いておられた姿が咋日のことのようにありありと冒に浮かんでくる。
 私は松山と関西を往復する慌しい日課の連続であったが、松山はまた別の、照射から大きな比重を占めており、多くの暖かい人々に包まれた忘れられない土地でもある。
 今でも新聞やテレどで松山の話題が出ると、我がことのように画面を食い入るように眺めては懐かしく思い出している。
 当時、私からハングルや朝鮮・韓国事情を学んだ学生諸君が卒業後も毎年機会ある毎に京都に立ち寄るが、その時は観光ガイドを勤めさせて頂くのをつの楽しみにしている。
 松山大を退職して3年半になるが、その後一度ゆっくり松山へ出向くことを宿題にしながら、いまだに野暮用に追われ不義理を続けている。
 もう方先生にも逢えないと思うと実に寂しく残念でならない。方先生の素敵な〈笑顔〉は永遠に私の心の中に残っていて、時には私を鼓舞し、激励し、語ってくれるだろう、時欄が許せば、いつか鄭先生にもお会いしたいと思っている。
 方先生!〈素敵な松山〉を本当に有り難う御座いました。どうか安らかにお休み下さい。心からご冥福をお祈り致します。 合掌

           ※〈方経民先生追悼式、04、10、11於・松由大学カルフール>メッセージから。



Copyright (C) 1997 copyrights.kitajuujiseibungaku All Rights Reserved.