韓 丘庸





文学には国境はないが、文学者には祖国がある(Ⅱ)
在日朝鮮人作家童謡童詩集「わが心は祖国へ」


 北十字星文学」10号では「在日朝鮮人の文学」の特集を編んだ。紙面の都合で40頁程しかスペースを割くことはできなかったが、商業誌では見当たらない作品を選んでいる。
 その中で5編の訳詩が掲載されているが、その一遍が李芳世の詩「白頭山の石」である。
 この作品の出典は、李明鎬・崔泳進の共同編集による「在日朝鮮人作家童話童詩集(わが心祖国へ)」(文学芸術綜合出版社、ピョンヤン'97刊)から選んだものであるが、この作品集は児童詩分野として、在日朝鮮人作家のものを出版するのは画期的なことであった。
 李芳世のこの詩は彼の童謡集<<私たちの心を祖国へ>>(文芸同中央詩分科委員会編、'9 2刊)にも収録されているが、日本での再版時にはその一部が大きく削除され、意図的に書き替えられていたことが解り彼は憤慨していた。
 殊に第7節の4連はストレートに完璧に差し替えられている。
     <原作>                         <変更>

   우리 말 우리 글                   온 교정 안에 넘쳐나는
   열심히 배우며                  원수님 사랑
   뛰노는 운동장은                  그이께서 안겨주신
   조국의 넓은 벌                   크나큰 긍지
またこの他今回の特集でも紹介したが、許南麒の詩「子どもたちよ これがわたし達の学校だ」の中でも、原作の収録されている李珍圭編『人民ハングル教本』(学友書房' 53刊)のものと比較すると随所に部分的添削を施していることが解る。
 これらをわたし達はその時々の「国家的配慮」の下で、別の意図があってのことだと肯定的に見てきた。
 詩は詠まれたその時代と背景、状況と環境によって「言葉の選択」はその詩人の生きることの尊厳にかかわる重厚な意味を持つ。
 共和国の文学状況も2000年以後、少しは変容したとはいえ「添削指導」といえない黒い影がつきまとう中での創作活動は旧態依然として続いている。
 今迄そうした無謀なことが暫々あったし、文学官僚イコール政治家として、わが者顔で肩で風を切り、善良で誠実な作家たちが人間性まで抹殺され、苦悩した例はいくらでもあった。
 今でも文学が政治に従属(場合によっては隷属とも言えようか)している限りにおいては、常時こうした悲しい恥ずかしい現象を目にすることになるだろうし、これからも有り得るだろう。果たして「国家統制」にはどこまでそれが不可欠だろうか。
しかし彼らはうそぶくだろう。
「文学に国境はないが、文学者には祖国がある」と。



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